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広島高等裁判所 昭和60年(う)90号 判決 1985年12月24日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二〇年に処する。原審における未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。押収してあるステンレス製文化包丁一丁(広島地方裁判所福山支部昭和五九年押第四一号の1)、紺色丸首シャツ一枚(同押号の2)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は検察官清水鐡生提出(同佐藤博敏作成)の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

検察官の論旨は、要するに、本件犯行の罪質、動機、態様、結果の重大悪質であることに照らすと、無期懲役で処断すべきであるのに、有期懲役刑を選択したうえ、被告人を懲役一五年に処した原判決の量刑は軽きに失して不当であるというのである。

そこで所論に鑑み検討するに、記録及び当審における事実調べの結果を合わせると次のとおり認められる。

(一) 本件は、被告人がいわゆるゲーム機賭博に凝り、借金を重ねたうえ、妻から別れ話を持ち出されたこと等から前途を悲観し、妻子を殺害して自殺しようと決意し、妻甲(三二年)、長女乙(七年)、二女丙(二年)、長男丁(一〇か月)をそれぞれ窒息死させて殺害したという事案である。

(二) 被告人は、昭和五八年二月から福山市○○町所在のA鉄工株式会社に自動車運転手兼工員として勤務し、真面目に働けば一か月二五万円ないし二七万円の収入があり、家族(妻及び子供三人)の生活を維持できるものであつた。

被告人は同年七月ころからゲーム機による賭博に凝つてサラ金から借金を重ね、同年一二月にはその債務が約一五〇万円に達したが、A鉄工のB社長の尽力により、昭和五九年一月七日、銀行から一五〇万円を借り入れて右債務を返済し、銀行に対しては三年間で分割返済することになつた。被告人は、その際、社長及び妻に対し「ゲーム機賭博をしない。サラ金に手を出さない。」と誓つたにも拘らず、同月中旬から再びゲーム機賭博を始めてサラ金から借金を重ね、同年五月下旬にはその債務が一五〇万円余となり(その間、生活費として必要な金額を家計に入れなかつたり、妻がおかず代として残していた金を持ち出したりしたうえ、同月三一日の給料は欠勤が多かつたこともあつて、返済金等を差引くと約六万円しかなかつた。)、そのころにはサラ金からの借入れも難しくなり、利息の支払いの目途が立たなくなつた。

被告人の妻から窮状を訴えられたB社長は、同年六月五日被告人に対し真面目に働くように忠告したが、被告人は、約束を破つてサラ金に手を出したことが露見するのを恐れるなどから、A鉄工を辞める気になつていた。(同社長は翻意を促し、翌六日及び七日にも「考え直して働きに来るように」と忠告したが、被告人はあいまいな返答に終始した。)また、被告人の妻は、被告人から辞職の意向を告げられるや「真面目に働いて貰いたい。会社を辞めるなら子供がばらばらになつても別れる」と訴え、働くように求め続けた。

被告人は、サラ金からの督促を避けるため、支払のあてのないまま「七日昼までに支払う」旨をサラ金各社に連絡していたが、七日朝になつてもサラ金に支払うあてがなく、A鉄工で引き続き働く気にもなれず、妻から離婚話が出るという状況の中で前途を悲観し、自殺の道連れに妻子を殺害しようと決意するに至つた。

このように、被告人が自己の生活態度を改め、妻の注意、B社長の忠告に応じていれば生活の建て直しも可能であつたとみられるのに、自ら招いた窮地からの脱出を断念し、短絡的に自己中心的思考により妻子を自殺の道連れにしたものであり、動機において特に酌量すべき余地はない。

(三) 犯行の方法についてみると、抵抗が予想される妻に対しては、この世の名残りに夫婦関係を持ちたいと考えたとはいえ、被告人の真面目な稼働を望んでいた妻を「すんだら仕事に行く」と誘つて情交関係を持ち、仰向けになつてる同女に馬乗りとなつて両手で前頸を強く扼したものであり、長男及び二女は原判示のとおり両手或いはシャツを首に巻きつけて絞めつけ、また長女は学校から連れ戻したうえ、眠つている同女の左首を文化包丁で突き刺し、「お父さん痛いよう」と苦しみもがく同女の首に左腕を巻いて絞めつけたものである。

このように殺害方法は残忍であり、結果の重大さは言うまでもなく、夫或いは父からこのような形で生命を絶たれた被害者らの無念さは推測するに難くない。また、妻の母など遺族の被害感情には厳しいものがあるし、社会に与えた衝撃も大であつたとみられる。

(四) 右のような本件犯行の罪質、動機、態様、結果、遺族の感情、社会に与えた影響等に照らすと、本件は極めて悪質重大な事犯であり、被告人の刑事責任は重大であると言うべきである。

(五) これに対し、被告人には前科前歴がなく、前記の状況の中で短絡的に本件犯行に及んだものの、真摯に反省悔悟し、ガス自殺を図りながら果せなかつた自分も早く妻子のもとに行きたいとの気持を一貫して述べていることなど、被告人の利益に考慮し得る事情もある。

以上の事情を含む全ての情状を総合して斟酌すると、原判決が無期懲役を選択しなかつたことをもつて必ずしも不当であるとは言い難いが、有期懲役を選択しても併合罪加重により上限が二〇年となることに照らすと被告人を懲役一五年に処したのは軽きに失して不当であると認められる。論旨は理由がある。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決する。

原判決の認定した罪となるべき事実に原判決掲記の法条を適用し(刑種の選択及び併合罪の処理を含む)、その刑期の範囲内で前記の情状を考慮して被告人を懲役二〇年に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入し、押収してあるステンレス製文化包丁一丁(広島地方裁判所福山支部昭和五九年押第四一号の1)は原判示四の、紺色丸首シャツ一枚(同押号の2)は原判示三の各殺人の用に供した物でいずれも被告人以外の者に属しないから同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれらを没収し、原審及び当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書によりその全部を被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

裁判長裁判官久安弘一 裁判官横山武男 裁判官谷岡武敎

控訴趣意書

原裁判所は、罪となるべき事実として公訴事実と同旨の殺人の事実を認定しながら、検察官の「被告人を無期懲役に処するを相当とする。」との求刑に対し、「被告人を懲役一五年に処する。未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。」旨の判決を言い渡したが、右判決の量刑は、本件犯行の罪質、動機、態様、結果の重大性、社会的影響等諸般の情状に照らし、著しく軽きに失し、不当であるから到底破棄を免れないものと確信する。すなわち、

本件は、被告人が家計を顧みずサラ金業者から借金を重ねこれを資金としてゲーム機賭博に狂奔し、遂に経済的破綻をきたしたことから、事の次第が勤務先や妻に露見すれば、職場に留まることができなくなるばかりか、妻からも離婚され、一家離散の憂き目を見なければならない状況に陥ると悲観し、いつそ妻子を殺害して自殺しようと決意し、無残にも一挙に妻子四人を殺害したというまれにみる凶悪重大事犯であつて、家にあつて辛抱強く乏しい家計をやりくりして支え、夫である被告人の放らつな生活態度を改めさせようと手を尽くし、健全な家庭生活の維持に必死に努力していた妻を騙し討ち的に殺害し、更に何の罪もないいたいけな幼児三人を次々と殺害した所為は極めて重大悪質で、動機、手段方法等の犯罪態様、四人もの人命を一挙に奪つた結果の重大性等にかんがみ、被告人に対しては、無期懲役をもつて処断すべきが相当であるにもかかわらず、原審裁判所は有期懲役刑を選択した上、懲役一五年の著しく不当な寛刑を言い渡したのであるから、右量刑には到底承服し難い。

以下、その理由を詳述する。

第一 本件は、被告人が家計を顧みずサラ金業者から借金を重ねて、これを資金として、ゲーム機賭博に狂奔した結果、多額の負債を抱え、前途を悲観して自殺を思いたち、その道連れとして無残にも家族全員を殺害するに至つた事犯であつて、犯行の動機は極めて短絡的、かつ、自己中心的であつて酌量すべき余地は毫末もない。

一 まず、被告人とその家族の状況をみると、被告人は、昭和四六年ころ、鳥取市内において飲食店店員として働いていた当時、同市内の喫茶店でウエートレスをしていた甲(昭和二六年九月二〇日生)と知り合い、同年一二月末、同女と福山市に移住して同棲を始め、昭和四七年一二月二六日に婚姻し、その後、長女乙(昭和五一年九月九日生)、二女丙(同五七年一月二三日生)、長男丁(同五八年七月一三日生)の一男二女をもうけ、その間、タクシー運転手等の職を経て、昭和五八年二月から、福山市○○町×丁目△△△番地所在、プレス加工業A鉄工株式会社(以下「A鉄工」と略称する。)の自動車運転手兼工員として稼働していたもので、真面目に勤務すれば、月額二五万円ないし二七万円程度の収入があり、同市○○○町×××番地△住宅六号室を賃借りして暮らし、甲は、主婦として家事、育児に専従し、長女乙は、福山市立○○小学校に二年生として通学していたものである(被告人の昭和五九年六月一三日付け員面調書・記録第三分冊六三丁の四三八裏ないし四四五表、以下「記録」の表示を省略する。Cの昭和五九年六月八日付け員面調書・第二分冊六三丁の五八表、Bの昭和五九年六月一一日付け員面調書・同丁の一三九裏、一四〇表、戸籍謄本同丁の三〇六表ないし三〇七表)。

二 ところで、被告人は、元来ギャンブルが好きで、既に一六、七歳の少年時からパチンコをしており、タクシー運転手をしていた昭和五二年ころからは、競馬やゲーム機賭博にも手を出すようになつたが、昭和五八年六、七月ころ、自宅近くのゲーム喫茶店で、ポーカーゲーム機で現金を賭けて行う賭博を知つてからは、これに熱中し、妻には残業や夜勤をしているように詐つて、多い時には、一週間に三、四回も、福山市内の四、五軒のゲーム喫茶店に入り浸つてゲーム機賭博に狂奔し、時には自宅へ帰らずゲーム喫茶店から会社へ出勤するという有様で、右賭博に負けると、負けた金を取り戻すため、甲に内緒でサラ金業者から金を借りては、右賭博に注ぎ込み、更に負けるという悪循環を繰り返すようになり(被告人の昭和五九年六月一四日付け員面調書・第三分冊六三丁の四四六表ないし四五〇裏、同年六月二六日付け検面調書・同丁の五三五表ないし五三六表)、ゲーム機賭博を始めて五、六か月経つた昭和五八年一二月には、サラ金業者に対する負債総額は、約一五〇万円にも達し、利息の支払いすら出来ず、そのため仕事も手につかない状態になつたのである。その間被告人は、妻甲に満足に給料を渡していなかつたので、同女は生活費等に窮し実姉に救いを求め実姉Dから送金を受けてその場の生活をしのいだこともある等、同女の心労は並大抵のものではなかつた。右のとおり、被告人は仕事が手につかず、同年一二月一〇日から一二月一六日までA鉄工を無断欠勤したところから、同鉄工社長Bが不審を抱き甲に電話して事情を確かめたところ、同女は泣きながら「主人はサラ金から金を借りていて取り立てに困つている。学校への支払いの金もなく困つている」旨訴えたので、右Bにおいて、窮状をみかねて、甲の実姉Eが嫁している愛媛県○○市居住のFと相談し、翌昭和五九年一月七日、B及びFが保証人となつて、被告人名義で株式会社香川銀行福山支店から一五〇万円借入してこれをサラ金業者への借金の返済に当てて精算し、同銀行へは、被告人が毎月元金四万二、〇〇〇円と利息を支払い、三年間で割賦返済していくことで解決した。もちろん、被告人は、右解決方法に納得し、右B及び妻甲らに対し、「今後一切サラ金には手を出さない、真面目に働いて銀行の借金を返す」旨誓つているのである(Bの昭和五九年六月八日付け及び同月一一日付け各員面調書・第二分冊六三丁の九五裏ないし九六裏、同丁の一一八表、同丁の一二五表ないし一二九表、同年六月八日付けFの員面調書・同丁の一五九裏ないし一六一裏、同月八日付けDの員面調書・同丁の一八九表ないし一九一裏)。

三 ところが、被告人は、その後旬日も経ない昭和五九年一月中旬ころには、またぞろ、甲に内緒でゲーム機賭博を始め(被告人の昭和五九年六月一四日付け員面調書・第三分冊六三丁の四五五表ないし四五六裏、同年六月二六日付け検面調書・同丁の五三七表、裏)、以前と同様サラ金業者から借金を重ねるようになり、同年五月には、サラ金業者八社からの借入金の総額は、またもや約一五一万円にも達するに至つた(司法警察員中野正之作成の捜査状況報告書・第二分冊六三丁の二〇〇裏ないし二〇二表、被告人の昭和五九年六月一四日付け員面調書・第三分冊六三丁の四五六裏ないし四五八表)。

このような経過のなかで、被告人は、四月三〇日の給料日に支給を受けた給料手取り一六万円のうち、四ないし五万円をゲーム機賭博で負け、妻甲には「給料の計算が間違つていたから、今日給料もらえなかつた」等と詐つてその場を糊塗した上、五月二日に、サラ金業者から二〇万円借入して、その中から、ゲーム機賭博で負けた四ないし五万円を残給料に加えて一六万円にして、これを、計算し直してもらつた給料であるとして、甲に渡し、サラ金借入分の残一五ないし一六万円は、これをゲーム機賭博に費消するなど、家庭を全く顧みない自堕落な生活を無反省に繰り返していたものである。この間、被告人がサラ金に手を出しゲーム機賭博をしているのではないかと疑念を抱いた妻甲は、再三、再四、右生活態度を改めるよう注意していたが、被告人はこれを全く無視し一向改めず、同年五月中、家に金がないのを知りつつ、妻甲が「おかず代」としてとつておいた三万円を無断で持ち出し、更には自動車を入質(自動車入質は、五月二一日)するなどに至つたので、同女は、被告人の反省を促すため、同月二四日、被告人に「お父さんの悪い癖が治らんかぎり戻つて来ん、お父さんが反省してもし治つたら帰つてくるかもわからん、乙だけは学校に行かしなさい」と言つて、幼い長男丁、二女丙を連れて家を出、実姉E方に身を寄せたものの、被告人からの「乙に食べさすものがない」等の連絡により、同月二七日帰宅せざるを得なかつた。甲帰宅後も、被告人は何ら反省することなく、五月三一日の給料日には、無断欠勤が多かつたため、給料手取分はわずか六万円しかなかつたのに、これをそのまま家計に入れることなく、四万円をゲーム賭博に費消し、翌六月一日から、被告人は、甲には会社に出勤すると詐つて家を出て、実際は出勤せず、福山市内のサラ金業者を回つて金策に奔走したが、ブラックリストに登載されている被告人に融資するサラ金業者は見当たらず、六月四日には、甲に無断欠勤が露見するに至つた。思い余つた甲は、翌五日、被告人がまた賭博に凝つてサラ金業者から借金し、家族が経済的にも精神的にも極度にひつ迫している旨の事情をしたためた手紙二通(この点については、特に、昭和五九年六月八日付けBの員面調書添付の甲作成名義のA鉄工社長あての書簡二通参照・第二分冊六三丁の一〇二表ないし一一三表)を、A鉄工社長Bに手交して救いを求めたので、窮状を見兼ねた同人において、被告人に、真面目に働くよう忠告したが、被告人はこれに耳を傾けず、A鉄工を辞める覚悟を固めた。

一方、被告人からその意向を伝えられた甲からは、「真面目に働いてもらいたい。会社を辞めるなら子供がばらばらになつても別れる。」旨会社を辞めないよう、翻意することを訴えられたが、被告人は、妻のこの切ない訴えを一顧だにしなかつたのである。

他方、六月分の返済期日が到来していたサラ金業者から、電話で支払いの督促を受けたことから、このまま推移すればサラ金業者から、会社や自宅へ厳しい督促がきて、甲やB社長にすべてが露見し、その結果、生活に破綻をきたし、甲からも離婚を求められてしまうことになると追いつめられた心境に陥り、そのころから、妻から離婚されるくらいなら、いつそ妻子を殺害して、自分も自殺しようかという考えを抱くに至つた。そして同月六日には、借金先のサラ金業者数社へ「明日の昼までに支払いに行く。」旨電話して時間を稼いだものの、もとよりその当ては全くないばかりか、犯行当日の七日朝には、再度甲から「今日は仕事に行かないのか。」、「真面目に働かないなら別れる。」旨難詰されたところから、いよいよ切羽詰まつたと考え、本件犯行に及んだのである(被告人の昭和五九年六月二七日付け検面調書・第三分冊六三丁の五四二表ないし五五二裏、五五五表ないし五六〇表、Bの昭和五九年六月八日付け、六月一一日付け各員面調書・第二分冊六三丁の九七裏ないし一〇〇表、一〇二表ないし一一三表、一二九表ないし一三八表、被害者甲の動向についてと題する電話録取書・同丁の一七九表ないし一八〇表)。

四 以上見たように、被告人が妻子の殺害を決意するに至つた原因は、ひとえに被告人が家庭を顧みずゲーム機賭博に狂奔し、一度ならず二度までも、サラ金業者から返済のめどが全くない多額の借金を重ねたことにより経済的破綻をきたし、ひいては家庭を破滅するに至らせたことにあり、その責任はすべて被告人に存し、妻子には殺害されねばならないような理由は全くないのである。

被告人は、従前の負債の上に更に約一五〇万円の負債を重ねて経済的に破綻し、妻と離婚せざるを得ない羽目になると前途を悲観して本件犯行を決意したのであるが、犯行に至るまでの経緯をみると、前記第一の三において詳述したように、妻甲から再三、再四注意され、かつまたA鉄工のB社長から、六月五日に、真面目に働くように忠告を受け、翌六日には、被告人がA鉄工を辞めると電話したのに対し、同社長は、「考え直してうちの方へ来い。もう少し働いてみたらどうか」と助言し、犯行当日の午前九時前にも、B社長から「今からでも遅うないど。早う出て来いよ」と電話で援助の手を差し延べられた(Bの昭和五九年六月八日付け及び同月一一日付け各員面調書・第二分冊六三丁の九八表ないし一〇〇表、同丁の一三三表ないし一三八表、被告人の昭和五九年六月一五日付け及び同月一七日付け各員面調書・第三分冊六三丁の四七六裏ないし四七九表、同丁の四八七表ないし四八九表、同丁の五〇一裏ないし五〇二裏)のであるから、被告人さえこれに応じ、再度右Bの厚意を受け真面目に稼働すれば生活を建て直すことは十分可能であつたはずである。真に妻子を愛するのであれば、夫として親として当然そうすべきであつたのに、被告人は何らその努力をせず、短絡的かつ恐るべき自己中心的な考え方から、極めて安易に、自己の自殺の道連れに妻子を殺害したのである。被告人には、夫あるいは父親としての適格性を欠いていたことはもちろん、妻子の生命、人格に対する尊重の念や、妻子に対する真の愛情を片鱗だに見いだすことができない。

右に述べたように、被告人が自殺を思い立たねばならないような窮地に陥つたのは、自らが招いたものであつて自業自得というべく、何ら同情に値しない上、妻子殺害の動機については同様既に述べたとおり如何なる観点からみても、酌量の余地は毫末も存しないのである。

第二 本件は、妻子とはいえ、四人もの生命を奪つた凶悪事件で、その結果は極めて重大で、殺害の手段方法は卑劣、かつ、残忍にして冷酷である。

一 本件殺害の状況をみると、被告人は甲がいては子供を殺害することができないので、まず同女から殺害しようと考え、殺害の際の抵抗を免れるため、甲を情交に誘い、同女が抵抗し難い状態になつている隙を突いて扼殺しようと決意し、「済んでから仕事に出かけるけえ。」と言つて、いかにも情交に応じたらA鉄工に勤めに行くように同女を欺いて、肉体関係を求め、長男丁が布団で眠つていた四畳半の間において、同女と情交を結んだ上、その不意を突いて、仰向けになつている同女の上に馬乗りとなつて、いきなり両手で同女の前頸部を強く扼し、同女を窒息死させて殺害した。まさに騙し打ちである。

続いて被告人は、甲の傍らに無心に眠つている長男丁の首を前同様両手で絞めて扼殺し、更にそのころ、隣室の六畳間で目を覚ました二女丙を同四畳半の間に呼び寄せて、ひざに抱き上げ、被告人が同室に脱ぎ捨てていた長袖シャツの袖を同児の首に巻きつけて両手で強く締めて絞殺した(被告人の昭和五九年六月一七日付け員面調書・第三分冊六三丁の五〇三裏ないし五一〇裏、昭和五九年六月二七日付け検面調書・同丁の五六〇表ないし五六二表)。

被告人は、甲ら三名を殺害後、○○小学校に登校していた長女乙をも殺害しようと企て、同女の担任教諭に「親戚に不幸があつたので乙を帰宅させて欲しい。」旨偽りの電話をしたところ、同教諭から、「保護者の迎えがなければ帰すわけにはいかない。」との返事があつたので、同女を迎えに行つて自宅に連れ帰り、同女には、○○市のF方に行くように嘘をつき、前記四畳半の間で、母と弟妹が眠つており、夜になつたら、船に乗るので今のうちに寝ておくように申し向けて、乙を前記丙の右脇に寝かせ、同女が寝つくや、あらかじめ布団の下に隠していた文化包丁をとりだして、同女の左頸部を一突きし、目を覚まして「お父さん痛いよう。お父さん痛いよう。」と泣き叫び上半身を起こした同女の背後から左腕をその首に回して一気に絞めつけて窒息死させて殺害したものである(被告人の昭和五九年六月二八日付け検面調書・第三分冊六三丁の五六四裏ないし五七一裏)。

二 右犯行の態様が示すとおり、被告人は、甲については自分を殺そうとしているとは夢想だにせず、会社へ出勤してくれるものとばかり信じている甲を欺いて情交に誘い、同女の不意を突いて一気にその首を扼して殺害に及んだもので、また、丁、丙の二児については、無心に眠りあるいは父を信じて抱き上げられた我が子を何らのためらいも見せずいとも簡単に首を絞めて殺害し、更に、長女乙については、学校側が、誘拐や交通事故などから児童を保護するため、保護者の迎えがなくては早退させられないとして、慎重な対応をしたのに、同女の殺害を翻意せず、同女を迎えに行き、かつ残酷にも包丁で首を刺した上、泣き叫び苦しみもがくところを扼殺したものであつて、これらの結果はまことに重大であり、またその殺害方法は、卑劣かつ残忍にして冷酷極まりないと言わざるを得ないのである。

三 また、殺害された被害者四名が被告人の妻であり、子であつたということは、被告人の刑事責任を軽減すべき理由とはならない。

人の生命は、全地球より重いといわれるが、被害者が加害者と無縁の第三者であるか、加害者の妻子であるかによつて、その生命の重さに差がある道理はなく、もし原判決が、被害者が被告人の妻子であることを考慮して、被告人の刑事責任をいささかでも軽減したとすれば、それは妻子の人権を無視し、妻子をあたかも夫の所有物であるかのようにみた前近代的な思想にくみするものとして到底承服できない。してみれば、被告人が、いかに自己の妻子とはいえ、四人もの貴重な人命を奪い去つた結果は誠に重大であつて、その刑事責任は厳しく追及されなければならない。

第三 甲ら四名には、被告人に殺害されねばならないような落ち度や理由は全くない。

一 甲は、愛媛県の貧しい家庭に生まれ、地元の中学校を卒業後約三年間、今治市内のタオル会社で働いた後鳥取県に出て、前記第一の一記載の経緯で、被告人と結婚して三児をもうけ、被告人がゲーム機賭博に手を出すまでは、裕福とはいえないまでも、一応安定した生活を送っていた。甲は、性格的に強い一面を有していたが、明るく、き帳面で我慢強く、子供の世話などの家事もきちんとしており(証人Gの原審第三回公判における供述・第一分冊六四丁の二裏)、家主のCも、同女の性格等について「家賃の延滞は、一度もなく、毎月五日までに必ず奥さんが納めており、きちようめんな家庭との印象がありました。良くできた方で、家庭的な人でもちろん派手なところはなく、いつも家で子供の世話をしており、夕方になればよく家の前とか近くの公園へ連れて行つており、近所の奥さん連中とも仲が良く、私も好感を持つていたのです。」旨供述している(Cの昭和五九年六月一四日付け員面調書・第二分冊六三丁七〇裏ないし七二表)ように、人柄も良く、主婦としてきちんと家事や育児に専念しており、非難されるような点は全くなかつた。

二 それどころか、甲は、仕事や家庭を顧みずゲーム機賭博にふける被告人に妻として献身的に仕え、被告人に真面目に働くよう忠告するなど必死になつて被告人の乱行から家庭が崩壊するのを防ぎ、堅実な家庭を築こうと涙ぐましい努力を続けていた。すなわち、

1 甲は、昭和五八年一二月末に被告人がゲーム機賭博に凝りサラ金業者から約一五〇万円もの借金をしていることが発覚した際には、被告人を見捨てることなく、姉の夫Fに援助を求め、同人や前記B社長の尽力により、香川相互銀行福山支店から、一五〇万円の融資を受けて、家庭が崩壊することを防いだのである(Fの昭和五九年六月八日付け員面調書・第二分冊六三丁の一五九裏ないし一六一裏)。

2 また、甲は、昭和五九年二月ころ、被告人が同女に内緒で健康保険証や実印を持ち出していることに気付くと、再びゲーム機賭博に手を出して、サラ金業者から借金をしているのではないかとの疑念を抱き、被告人に対し、「またサラ金から金を借りているんじやあないか。同じような繰り返しをしたら別れにやあいけん。別れたら子供はバラバラになる。銀行の保証人も抜くようになる。」と何回となく注意をしたり(被告人の昭和五九年六月一四日付け員面調書・第三分冊六三丁の四五九表ないし四六〇表)、同年三月三一日の給料日には帰宅の遅い被告人を探してゲーム喫茶店へ行き、ゲーム機賭博をしている被告人を見つけて連れ戻し、帰宅後、被告人に「まさかサラ金から金を借りてはいないでしょうね。今度前のようなことがあつたら保証人になつてくれた社長さんや、お兄さん達も保証人をおりるといわれるでしよう。ゲーム機などで遊んではいけない。」などとたしなめるなどして被告人がゲーム機賭博やサラ金に手を出さないよう必死に努力を傾けていた(被告人の昭和五九年六月二六日付け検面調書・第三分冊六三丁の五三七裏ないし五三九表)。

3 更に、前記第一の三で詳述したように、同年五月二四日、甲は、またもや健康保険証や実印がない等に気付き、被告人に対して「保険証や実印がない。また悪い癖が出たんではないか。悪い癖が治らなければ、下の子二人を連れて家を出る。悪い癖が治るまで帰らない。治つたら帰るかもしれない。乙はあなたが学校に行かせなさい。」と言い残して、丙及び丁の二人を連れて、Eの所へ行つて二泊し、被告人に反省を促したりもした(司法警察員中野正人作成の電話聴取書・第二分冊六三丁一七九表ないし一八一裏、被告人の昭和五九年六月二七日付け検面調書・第三分冊六三丁の五四四表ないし五四六表)。

また、同年六月五日には、A鉄工のB社長に対し、「私達夫婦も今度こそ本当に終わりだと思います。私は自分からみても馬鹿なくらい我慢する方です。しかしもう勘忍袋の緒が切れました……。いつまでたつても同じ事を繰り返すので、社長さんに相談すると言いましたが、社長に言うんなら、会社は辞める。もう借金のことは知らんと言います。……中略……五月、家にお金がない事を知つてて、なけなしのおかず代三万円も無断でゲーム代に持つて行きました。お米を買うお金もないし、学校の納金も三日後だしと考えると腹が立つてしようがありませんでした。……中略……心の整理はつきましたが、今別れると保証人になつてもらつた人に迷惑がかかることになつてはいけないので、社長さんに相談に乗つてもらおうと思いこの手紙を書いています。(昭和五九年五月二四日付けのもの)」「主人も、自分がしている事に気が付いて立ち直つてほしい。最悪の状態になるのだけは避けたいと思つています。……中略……主人の話を聞いてやつて下さい。お願い致します。」という内容の手紙を二通書いて届け(Bの昭和五九年六月八日付け員面調書添付の手紙の写し二通・第二分冊六三丁の一〇二表ないし一〇九表、同丁の一一〇表ないし一一三表)、同社長に被告人を賭博と借金の泥沼から助け出して欲しいと最後の願いを託した。この手紙を読むと、甲が被告人の放恣な生活態度にどれだけ心労し、また、その立ち直りのために同女がいかに必死の努力を傾けて来たかがつまびらかで、同女の苦悩の念に同情を禁じ得ない。

三 このように甲は、離婚という最悪の事態もやむを得ないと覚悟しながらも、かかる事態の招来を極力避けるため涙ぐましい努力を重ねていたもので、同女には、被告人に殺害されねばならないような落ち度は全くなく、ましてや乙ら三名の子供については、殺害されねばならないような理由は全くないのである。

第四 甲の遺族は、被告人に対し厳正な処罰を求めている。

すなわち、甲の母親Gは、「私の今の心境としては、腹を痛めて生んだ子供が、その夫に殺されたと思うと目の前が真つ暗になるくらいショックを受け、今はお話をする気にはなれません。私は貧しい中にも一生懸命に五人の子供を育てあげ、夫が病死して以来、子供が幸せに生きていかれるのを唯一の楽しみとしていたわけです。小さな命まで奪つた戊(被告人)は絶対に許すことができませんから、厳重に処罰して下さい。私は子供らが小さいときから生活が苦しくて生活保護を受けていました。ですから子供には何ひとつ楽しい思い出をつくつてやることができず、その子供が苦労の連続で死んでしまつたことを思うと可哀相でなりません。」旨述べ(Gの昭和五九年六月八日付け員面調書・第二分冊六三丁の一五一表ないし一五二表)、原審公判廷においても同女は、被害感情につき、「問、被告人に対してどのように思つていますか。答、あれほど子供達を可愛がつていたのに残念でたまりません。問、犯人を許す気はありますか。答、ありません。」と証言し、被告人に対し、厳重な処罰を求めている(第一分冊六四丁の四表、裏。なお控訴審においても立証予定)。また、甲の姉の前記Eも、原審公判廷において「やつたことに対して償いをしてもらいたいと思います。被告人を許す気持ちはありません。」とその憤りを述べているのである(第一分冊六四丁の一〇裏)。特に、最愛の娘と孫三人を一瞬にして奪われた右Gの心情は、察するに余りあるというべきである。

被告人は、これら遺族に対してなんの慰藉も講じていないのであつて、このいやされることのない強烈な遺族の感情は十分に斟酌されるべきである。

第五 原判決が、被告人に有利な情状として説示している事由は、決して過大に評価さるべき性質のものではない。

原判決は、その量刑の理由の中で、本件は、被告人がゲーム機賭博に凝り、借金を重ねた上、妻から別れ話を持ち出されたこと等から前途を悲観し、妻子四人を次々と殺害した陰惨な事案であり、はなはだしい人命軽視の犯行であるとしながら、

① 被告人には、その不幸な生い立ちにもかかわらず、これまで前科・前歴がない。

② 改悛の情が認められる。

など有利な情状を考慮して本件量刑に及んだ旨判示している(判決書・第一分冊三九丁裏)。

なるほど、被告人は、鳥取県のへき村に生まれ、四、五歳の頃に父母が離婚したため、父や祖父母に育てられ、小学校四年生のときから、養護施設で育ち、中学校を卒業するや、岡山県井原市の熔接工場に工員として就職し、それ以来、飲食店従業員、タクシー運転手などいくつかの職を転々と変えているが(被告人の原審公判廷供述・第一分冊六四丁の二三表ないし三三裏)、これまで前科・前歴はない。また、被告人は、原審裁判所あてに二回にわたり「死んだ家族のいるところへ行かせて欲しい。罪を死をもつて償いたい。」旨の上申書を提出し、法廷における最終陳述でも「どんな責でも負います。」旨述べて(第七回公判調書・第一分冊二二丁裏、二三丁表、同八五丁ないし九一丁)、改悛の情を示していることもこれを認めるにやぶさかではない。しかしながら、

一 まず、原判決の説示する「不幸な生い立ちにもかかわらず、これまで前科・前歴がなかつた」ことが、減刑事由となし得るかにつき検討すると、本件犯行当時、被告人は、妻子を有する年齢三一歳に達した熟年男子であつて、しかも本件犯行はその態様に徴し「被告人の不幸な生い立ち」と直接何の関係もなく、また、不幸な生い立ちにもかかわらず、被害者甲のように被告人に殺害されるまで真面目に社会生活・家庭生活を送つてきた者が社会に数多く存することは公知の事実であり、また前科前歴がないということは、社会に生きる善良な市民として当然のことであるので、本件のごとき重大凶悪悪質事犯につき「不幸な生い立ちにもかかわらず、前科・前歴がなかつた」ことを減刑事由とすることは、条理に照らし、到底左袒できない。少なくともこれを過大に評価すべきではないのである。

二 次に、原判決説示の改悛の情の点につき検討するのに、被告人は、約一三年間も生活を共にしてきた妻甲との間にもうけた三名の幼児を殺害し、しかも、自らは自殺しようとして果たせなかつたというのであるから、罪の深さを感じ、死をもつてわびたいと願う気持ちを抱いても当然と思われるので、被告人が犯行後自己の犯した罪の深さを改めて思い知り、反省悔悟の情を示しているからといつて、本件のような凶悪重大事犯にあつては、これを刑責を軽減する有利な事情として過大評価すべきものではない。

第六 本件犯行が社会に与えた影響は、重大かつ深刻であり、一般予防の見地からも被告人に対しては厳罰に処する必要がある。

本件は、いわゆるサラ金苦から妻子四人を一挙に殺害した事件として世間に大きく報道され(この点については控訴審において立証する)、地域社会に強烈な衝撃を与えたまれにみる凶悪重大事犯である。いわゆるサラ金からの安易な借金の累積を原因とする経済的破綻により、家族の離散、あるいは、いわゆる「蒸発」、更には自殺などが激増し、社会問題となつてきていることは、公知の事実である。これに対し、国家的立場から、悪質サラ金業者の規制取締りを行い、資金需要者の利益を保護すべく貸金業の規制に関する法律の制定などの立法措置その他種々の対策が講じられて来ているが、刑事司法の立場からは、被告人のごとく、賭博資金をサラ金に求めて金銭を費消し、その返済に窮したからといつて、現実からの逃避を図るため自殺を企図し、その道連れとしてなんの罪もない家族全員を殺害したような悪質事犯に対しては、同種事犯の再犯防止とその根絶を期するため、一般予防の見地からも、厳罰をもつて臨み、一罰百戒の実を挙げ、もつて人命尊重の規範意識の高揚を図るべきである。

第七 結び

叙上のとおり、本件犯行の動機、犯行態様及び結果の悪質重大性、遺族の被害感情、本件が社会に与えた影響、一般予防の目的など諸般の事情を総合すると、原判決の量刑は著しく軽きに失し、不当であるから、これを破棄し、更に適正な裁判を求めるため、本件控訴に及んだ次第である。

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